サラ/ヘンリー/エル ― 「選べなかった死」と「選ばなかった思想」

物語の余韻(作品レビュー)

※このブログはNetflixオリジナル『Stranger Things』最終回のネタバレとなるため、未見の方はページを閉じていただくか、ネタバレ覚悟でお読みいただければと思います。

いやあ…終わってしまった。私たちのStranger Thingsがほんとに終わってしまった。まずは製作者のみなさんに最大の感謝を叫びたい。ちゃんと終わらせてくれてありがとう…!マジでずっとおもしろかった!!!

シーズン5は毎話の内容が濃すぎて、しばらく情報と感情が渋滞していたが、見終わって少しして落ち着いてきたから、シーズン5全体と最終回のストーリーや疑問点を考察していきたいと思う。同じような疑問をもった方や、こんな考えがあるのかとご自身の考えの参考にしてもらえたらうれしいです。

サラ/ヘンリー/エルは、同じ問いを別の答えで生きている

エルのラストに思いを寄せながら、物語全体の倫理構造について考えてみたいと思う。

私はエル、サラ、ヘンリーの三人が物語的に対比できると感じた。ストレンジャー・シングスは、
この三人を通して「死」そのものではなく、
選択を奪われること/与えられることの非対称性を描いている。

この三人は、それぞれ異なる形で「選択」と向き合わされている。

「自分では選べない死」
「選ぶことを奪われた存在」

として配置されている。まずはホッパーの娘サラから。

サラは亡くなってから何年も経つが、未だにホッパーの心に大きな傷を残している。ホッパーがエルのことを娘のようにかわいがる気持ちが大きくなるにつれ、視聴者である私たちは、サラの存在をより強く意識するようになった。サラについてまとめてみると以下のようになる。

サラ:病気という外部要因
   選択権は一切ない
   死ぬことも生きることも選べなかった

アビスに行くため岩を乗り移り、ヘンリーを追おうとするエルをホッパーがとめる。「もう子供じゃないの。サラでもない。サラには選ぶ余地がなかった。私は違う。だから信じて。**正しい選択をするって。**私のことを信じてほしい。」とエルが説得するセリフがある。(シーズン5最終話にて)。

この時点では、エルは「自らの意思で死を選べる」という意味とも取れる。

サラは、選べなかった。
そして後で触れるが、ヘンリーは戦わなかった。

そしてエルは、「選べる」と言い続けてきた。その違いを意識すると、エルのラストの選択はまったく別の意味を帯び始める。

ヘンリーとの対比から考察する、エルのラスト

ヘンリーはウィルとの対話の中で、ヴェクナに取り込まれた自分はヴェクナと戦わなかったと言っていた。ヘンリーはウィルにほんの少しだけ心を開いた。(吹き替えの日野さんの演技が素晴らしすぎたのかもしれない)あのシーンで私は「もしやこのタイミングでヴェクナがこちら側になるのでは?」と、一瞬だけ和解の可能性を見た。実際ちょっとその気持ちもあったのかもしれない。でもヘンリーはそこであきらめてしまった。ヴェクナと一体化した自分について、ウィルと視聴者である私たちに語ってくれている。

「抗うことだってできたんだ。だが僕は選んで加わった。」

その後悔が、洞窟の奥にヘンリー自身のトラウマとして閉じ込められている。初めて人を殺したショックの気持ちもあったと思う。

抗わないのを選んだということはつまり、ヴェクナの思想を受け入れたということだと思う。 これは単なる敗北じゃなくて、

世界は歪んでいる
壊すことでしか救えない

という思想の受容だった。

つまりヘンリーは外敵(ヴェクナ)を「思想として内面化」した存在といえる。

ヴェクナ=外敵思想を受け入れる、ということをエルの立場に置き換えてみる。

すると、エルは「世界の平和のために自分は裏世界とともに消滅すべきだ」というカリの思想を押し付けられていると仮定できる。

ヘンリーが”受け入れた”ならエルは”争う”構図になるはず。 エルが「争う」ことを選んだ結果、
彼女は本当に裏世界とともに消えたのか、それとも“別の形の生”を選んだのか。
最終回の滝のシーンと表情から、エルの生存についてさらに掘り下げた考察は、
▶︎ 「静かなスタートの物語 ― エルは生きているのか?」
で詳しく書いている。

つまりは裏世界とともに死んだのではなく、どこかで生きているということになる。

よくあるホラー映画だと、物語が終わってエンドロールが流れた最後に、解決したと思われた悪霊が出てきて、またあの悲劇が繰り返されようとしている…的なラストになる。(ストレンジャー・シングス シーズン1もそうだった)今回はケイ博士の計画をカリが予想することで、視聴者の私たちにも上記のようなよくある顛末(てんまつ)が想像できた。

エルが生きていれば、その力・脅威が存在することになり、また同じことが繰り返される。であれば、エルは死ななければならない。でも本当の死じゃなくても、社会的な死を作り出せばOKである。願いのようにマイクが語ったストーリー『周りの皆を欺き、断捨離という形で新たな人生を歩み出す』という選択が一番美しい。(マイクにとってはとても辛いけど…)

上でエルは「世界の平和のために自分は裏世界と共に消滅すべき」というカリの思想を押し付けられていると書いた。ヴェクナはずっと一貫して、

  • 「世界のため」
  • 「秩序のため」
  • 「無意味な痛みを終わらせるため」

という正義の顔をしている。だから自己犠牲を選ばせる思想そのものが、ヴェクナ的という構図が成り立つ。だからこそ、エルは「争う」必要がある。

ここがストレンジャー・シングスの一番美しいところではないかと思う。

もしエルが

  • 世界のために消える
  • 裏世界と一体化する
  • 英雄的犠牲になる

これを選んだら、思想レベルではヘンリーと同じ側に立つことになる。というわけで、ストーリー構造的にそれを選んでしまえば、
「選べる存在になったエル」の物語そのものを、根底から否定することになる。だから私も信じる。

そもそも、ヴェクナという存在はどこから来たのか。
ヘンリーがヴェクナに取り込まれる“きっかけ”になったあのトランクと石のようなものは、
何を象徴していたのか。
裏世界の成り立ちと「外敵思想」の正体については、
▶︎ 「ヴェクナは何だったのか ― 裏世界と“外から来た思想”」
で考察している。

この考察は、StrangerThings最終章を
「誰が生き残ったか」ではなく、
**「何を選び、何を選ばなかった物語なのか」**として読み直す試みだ。

エルのラストシーンそのものについての考察は「静かなスタートの物語 ― エルは生きているのか?」で、
ヴェクナという存在の正体と裏世界の思想構造については「ヴェクナは何だったのか ― 裏世界と“外から来た思想”」で、
それぞれさらに深く掘り下げている。

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