お疲れ様です。シヴィアです。
お世辞が言えない理由を考えていたら、 もっと手前のところに行き着きました。
私は、「普通」がよくわからない。と同時に言いたいことが言えない。
明確な場面なら、言葉が出てくる
どんな返しをすれば自然なのか、どこまで話せばいいのか、相手が求めているリアクションはなんなのか——そういうことが、なんとなくわからないまま今日まで来ている。
ただ、わかる場面もある。
たとえば「子供が生まれました」という話題。そこで「おめでとう」と言うのは迷わない。場の空気がはっきりしているから。何を言えばいいか、ちゃんとわかる。
でも、そうじゃない場面のほうが多い。
曖昧な場面になると、とたんにわからなくなる
でも、もう少しグレーな場面になると止まる。
新しい服を買ったと言われた。 趣味の話を嬉しそうにしている。 最近始めたことを報告してきた。
ここで褒めるのが普通なのか。 共感するのが普通なのか。 それとも質問した方がいいのか。
わからない。
頭の中で、正解を探し始める。 でも正解がどこにあるのかも、わからない。
普通の基準がどこにあるのか、 ずっとよくわからないまま今日まで来た。
一番きついのは”飛び火”の可能性がよぎること
何気ない雑談、近況報告、世間話。そういうときに怖いのは、言葉を間違えることじゃない。自分が何かを口にしたことで、関係ない誰かが悪く見られてしまうことだ。
たとえば、私と親とAさん、三者の関係があったとする。そこで私が何気なく話したことで、Aさんが親のことを悪く思うようになってしまったら。私は直接の当事者じゃないのに、私の言葉が引き金になって、誰かと誰かの関係が壊れていく——そのイメージが頭に浮かぶと、怖くて何も言えなくなる。
何も話せなくなる。
紹介してもらった職場で働いていたとき、のびのびできなかった。自分の振る舞いが悪ければ、紹介してくれた人が「あんな人を送り込んで」と思われるかもしれない。派遣なら、契約を切られる可能性だってある。失敗は自分だけの問題じゃない——自分が引き金になって、関係ない人や関係性まで巻き込んでしまうかもしれない。その感覚がずっと消えなかった。
自分のことを話すのが、怖い。
正確には——自分のことを話すことで、自分の周りの人が傷つくのが怖い。
お世辞が苦手なのも、たぶん同じところから来ている。気のない言葉を言うのが怖いんじゃなくて、何かを言うこと自体に慎重になりすぎて、言葉が出てこない。
普通に話せる人は、こんなこと考えながら喋っていないんだろうか。
それとも、考えているけど、うまくやり過ごしているんだろうか。
どちらなのか、わからないまま、今日も少し黙っていた。
そもそも「普通」って、何なんだろう
みんなはどこで覚えたんだろう、といつも思う。
空気を読む。 その場に合わせる。 自然に反応する。
それを当たり前にやっている人たちは、 いつ、どうやってそれを身につけたんだろう。
私にはその地図が、たぶん最初からあまりなかった。
わからないまま合わせようとすると、消耗する
それでも場の空気は、何かを求めている。
だから、周りを見て、合わせようとする。 みんながどう反応しているか観察して、 同じようにしようとする。
できることもある。
でも、そのたびに何かを使っている。ガソリン垂れ流しの車で地図のない道を迷って、高速で行き来しているみたい。
家に帰ると、げっそりしている。
普通がわからない、ということ自体、 普通じゃないのかもしれない。
でも、わからないものはわからない。
それが今のところの、正直なところだ。


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