私は最近、気づいた。
話さなくていいなら、別に話さなくてもいいと思っている。
会話が嫌いなわけじゃない。 ただ、できれば静かに過ごしていたい。
親戚の飲み会で、頭が真っ白になった
先日、家族や親戚の飲み会に行った。
みんな普通に話している。 笑っている。 盛り上がっている。
でも私は、途中からよくわからなくなる。
この話題は続けた方がいいのか。 笑えばいいのか。 頷けばいいのか。
わからない。
人と話しているのに、心が動いていない感じがする。
そうなると、何をどうすればいいのか、急にわからなくなる。
「失礼じゃないか」を考え始める
心が動かないとき、私の頭の中ではこんなことが起きている。
まず一瞬止まる。 心が止まるみたいな感じ。
次に、正解を探し始める。
今は笑うところ?
もっと話題を広げた方がいい?
相槌だけでいい?
気づくと、会話がテストみたいになっている。
声のボリュームも私は小さい自覚があって、大きい声を出さないと。と緊張し続けている。
正解を探すほど、話せなくなる
そして最後は周りを見て合わせようとする。
みんながどう反応しているかを観察して、同じようにしようとする。
でもその頃には、もう結構疲れている。
帰宅して部屋でひとりになったときの安心感たるや…!寒い日だったのに部屋はすごく温かく感じた。
布団に横になると体中の力が抜けて、起き上がれなかった。深く息が吸えて、自分の呼吸がずっと浅かったのだと気づいた。
つまり、こういう順番で消耗していく。
会話が始まる
↓
ちゃんと反応しなきゃと思う
↓
失礼じゃないか考える
↓
正解を探す
↓
思考がいっぱいになる
↓
話が入ってこなくなる
↓
疲れる
私の脳内の処理能力(メモリ)が、会話のスピードに追いつかなくて、パンクしているような感覚。
思考が、会話の処理能力を超えてしまっている。
たぶん私は、一度止まってから合わせるタイプなんだと思う
多くの人は、会話に「自然に反応」している。
でも私の場合、心が動かないときは反応が出てこない。 だから笑うタイミングも、相槌も、話の広げ方も、全部を頭で考え始める。
それで急に疲れる。
もしかしたら私は、人と動くリズムが少し違うのかもしれない。
社会には会話のテンポがあって、笑う、頷く、話を広げる、そういう流れがある。 でもそこに、心が乗らない日がある。
その日は、無理に合わせようとすると、すごく疲れる。
私は人が嫌いなわけじゃない。
会話が苦手なわけでもないのかもしれない。
ただ、ちゃんとしようとしすぎるだけなのかもしれない。
それだけで、こんなにげっそりする。
同じような感覚を持つ人に、少し届けばいいと思って書きました。
もし、あなたも「会話がテスト」のように感じて、帰り道にひどく消耗してしまうなら。
今、私はそうした「擬態」で削られてしまった自分を取り戻すための、小さくて静かな方法をノートにまとめています。
近いうちに、一つの形にしてお届けできればと思っています。その時は、またここで。


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