無理をすると、その場はなんとかなる。
それが、ちょっと厄介だと思う。
なんとかなってしまうから、また無理をする。 また、なんとかなる。
そうやって、無理が「日常」になっていく。
「自分が我慢すれば収まる場」にいすぎた
思い返すと、そういうタイミングがよくあった人生だと感じる。
自分が黙れば、丸く収まる。 自分が折れれば、場の空気が保たれる。 自分が我慢すれば、誰も傷つかない。
そう思って、何度も何度も、自分を後回しにした。
その場はたしかに、収まった。
でも自分の中に、何かが少しずつ積み上がっていった。
心はあとから遅れて悲鳴を上げる
頑張っている最中は、意外と気づかない。
体が動いている。 なんとかこなせている。 周りからも、別に何も言われない。
むしろ褒められたり評価されたりする。好きと言ってもらえる。
だから大丈夫だと思う。
私はうまくやれてるんだ、って。
でも心は、リアルタイムでは悲鳴を上げない。 少し遅れて、静かに、じわじわと、後から来る。
ある日突然、何もしたくなくなる。 理由がわからないのに、涙が出る。 楽しかったはずのことが、何も楽しくない。
それが、あとから来た悲鳴の正体だったりする。
本当は、小さなエラー音はずっと鳴っていたはずなのに。思考(正解)でそれをかき消して、気づかないふりをしてきた。
頑張ることが怖くなる瞬間がやってくる
無理を続けていると、あるとき気づく。
頑張ろうとすると怖くなる。
また消耗するんじゃないか。 また自分を置いてきぼりにするんじゃないか。 また、後から崩れるんじゃないか。
頑張ること自体が、危険なサインみたいに感じるようになる。
それは弱さじゃなくて、たぶん体が覚えてしまったことだと思う。 無理をするとどうなるかを。
無理を続けると、自分の感覚がわからなくなる
一番こわいのは、これかもしれない。
今、しんどいのかどうかわからない。 本当はどうしたいのか、わからない。 何が嫌で、何が嬉しいのか、わからない。
感覚が、薄くなっていく。霧の中にいるみたい。ただ静かに横になりたい。風呂もしんどい。ただお湯に浸かるという数分の工程さえ、エベレストに登るような絶望的な作業に思えてくる。
好きだった曲も、雑音みたい。好きだった漫画やアニメも見るのが苦痛。ただ全てが、私に何もしないでほしい。
あんなに心を動かしてくれた物語が、今はただの色彩の点滅に見える。それが一番、自分を失ったことを突きつけてくる。
無理をしている間、ずっと「自分の気持ち」より「正しい反応」を優先してきたから、 だんだん自分の声が聞こえなくなっていく。
自分を置き去りにして進んでいると、 いつか自分の声が聞こえなくなる。
それだけのこと。
置き去りにした自分を、迎えに行く。
置き去りにされた自分は、今もあの場所にうずくまっている。
自分の声が聞こえなくなるのは、自分を嫌いになったからではありません。 ただ、あまりにも長く「正しい反応」や「他人の期待」というノイズの中で、耳を塞いで走り続けてきただけ。
もし、今あなたが「霧の中」にいて、風呂に入るのも、好きだったアニメを見るのも苦痛なら。 無理に頑張ろうとするのを、一度だけお休みしていい。
私は今、そんな「自分を置き去りにしてしまった人」が、もう一度自分の声の解像度を取り戻すための方法を、静かに書き溜めています。
誰にも見せない100円のノートに、ただ「苦しい」「無理だ」と、加工しないままの言葉を置いていく。 それは、一番遠くに置いてきてしまった自分を、迎えに行くための唯一の道かもしれません。
公開の準備ができたら、またここでお知らせします。
あなたの聖域が、少しずつ守られますように。


コメント