シヴィアです。本日もお疲れ様です。
完璧にやりたいと思っているのに、途中で「もうこのへんでいいや」と手を離してしまうことはありませんか。
私は、そのたびに自分にがっかりしていました。
ちゃんとやりたい自分もいるのに、最後までやり切れない。
その矛盾が、思っていた以上にストレスになっていたのかもしれません。
完璧主義なのに妥協してしまう自分が嫌
ちゃんとやりたい気持ちはあります。でも途中で「もういいや」「ちょっと休憩しよう」「落ち着こう」になる。
昔はここまで「もういいや」と手を離すことはなかった気がする。
いつの間に、こんなふうに自分を途中で止めるようになったのだろうと思います。
妥協している自分に自己評価が下がっているんだと、ふと気づきました。
どうして「このへんでいいや」と思ってしまうのか
いくつか可能性を考えてみました。
①疲れている
普通にある。疲れてるからやりたくてもできない。30代になって体力がなくなってきたのに、マインドだけは20代(下手したら10代)の可能性ある…。
その差がうまくなじんでなくて、心だけ突っ走って体がついてこなくて、イライラしている。かなりその可能性ある。
②基準が高すぎる
気持ちだけは盛り上がっているのに、目標設定が高すぎることがあります。
細かく分ければいいのだろうけど、「洗い物を終わらせる」こと自体がしんどくて、途中で休憩してしまう。
それもOKだと自分に許可は出せるけれど、あとでごちゃついた台所を見てまたストレスがたまる。
そして「それは自分のせいだ」と感じて、自己評価が下がっていく。
そんなループにはまっているのかもしれません。
せめて救いなのは、この完璧主義を他人にまで求めていないことです。
それは自分の良さとして、少しは認めてあげてもいいのかもしれません。
③失敗や評価が怖い
評価については自覚している私の課題でもあります。
「他人の評価を気にしない」って決めたものの、34年間その考えで生きてきて、親にも刷り込まれているものだから、なかなかすぐには変われません。
「正解はこの行動」「嫌われたくない」って思ってしまっている。
そう思った自分を俯瞰して自覚できたら、コーヒーを飲んだりして心を落ち着かせます。
最初は「自分ならできると思いすぎているのかもしれない」とも考えました。
でも実際は、それより「やらなければならない」という強迫観念に近い気がしています。
「やるのか?やらんのか?」ピクシス指令の質問が聞こえる。
できないかもしれない、じゃない。やるんだ。が自分で自分の首を絞めているのかもしれない。
④自分を守るために止まっている
もうひとつ思ったのは、私は昔から「途中で手を離す」ことで自分を守ってきたのかもしれない、ということです。
かなり個人的な話になりますが、子供のころの私は、小さな日常の出来事ですら、ほかの人の思想に介入されるような感覚がありました。
そのたびに、自分を守ることに必死だった気がします。
子供だった私は、自分の力で環境を変えることができませんでした。
もう何年も経って、一人暮らしをして、結婚もして、何度も自分の人生に向き合ってきました。
それでも根幹には、その頃の思いが焼き付いているような気がしています。
小さな子供の自分、インナーチャイルドを少しずつ癒していく必要があるのかもしれません。
完璧主義が自分を苦しめている可能性
理想が高いほど苦しいのは、「できていることより、足りない部分ばかり見る」からかもしれません。
それはマイナス視点でいえば考え方が暗く、揚げ足取りになっているのかもしれません。ポジティブな視点では、全体像を見て何が足りないのか判断できる冷静な人間とも思えます。
また「終わっても満足しにくい」性格なのもあります。なかなか自分で「やったー!おわった!」と喜んだりしないので、ぬるっと終わっているのも原因かもしれません。
妥協してしまう自分も、実は限界を知らせていた
私と同じような方がいたら、雑なのではなく、余白がないのかもしれません。
心が折れないためのブレーキかもしれないのです。責めるより、状態を見るほうが先かもしれません。
上記の私の書いてる内容も、なんか切羽詰まってる感じしませんか?書いていて自分でもそう思います。
重くなりすぎたときは、もう少し軽い生き方を思い出してもいいのかもしれません。
どっちもしんどいと気づいたとき、少し楽になれる
完璧主義か妥協か、どちらかを悪者にしなくていいと思いたいです。
自分の中で何が起きていたのかを知って、原因を探ってみるといいかもしれません。
苦しさの正体がわかると、自分が少し扱いやすくなると思います。


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