社会復帰するかどうかを、今この瞬間に決めなきゃいけない気がしてしまう。
社会復帰を考えると、胸が少しざわつく。
元気になったはずなのに、なぜか怖い。
それは本当に「今」なのだろうか。
20代の自分を基準にすると、今の自分はどうしても足りなく見える。
その基準は、本当に今の自分のためのものだろうか。
「怖いなんて甘えでは?」と自分に問いかけてしまう。
それが異常だと、誰が決めたんだろう。
体が回復すると、社会にも復帰できる気がしてしまう。
心のチューニングは、体とは別の速度で動いている。
前はできていたのに、と比べる。
あの頃の自分は何かを燃やしていなかっただろうか。
社会復帰が怖いのは、壊れたからではない。
もう壊れたくないから、かもしれない。
怖いのは、正常なのかもしれない。
それは心がきちんと働いている証拠なのだと思う。
気づくと、20代の自分を基準にしている。
あの頃はできていたのに、と。
辞める選択肢はなかった。
東京に出てきて、何者かになりたかった。
大人になった証明がほしかった。
立ち止まる発想もなかった。
合わないという言葉も知らなかった。
朝が苦手なら直すべきだと思っていた。
人と話すのが苦手なら、得意にならなきゃいけないと思っていた。
逃げ場がないと、人は意外と動けてしまう。
選択肢がないから、前に進むしかない。
20代の私は強かったのではなく、
立ち止まるという選択肢を知らなかっただけかもしれない。
もしあの頃、「合わない」と言ってもいいと知っていたら。
もう少し違う選び方ができたのだろうか。
当時の私は、その選択肢を知らなかった。
だから、あのときの自分を責めることも、少し違う気がしている。
過去の自分を基準にするたびに、今の自分が弱く見える。
本当は、基準のほうが過酷だったのかもしれない。


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