数日前、旅行から帰ってきた。
洗濯物だけ出して、キャリーケースは玄関にそのまま放置している。
上着も脱ぎっぱなしで椅子においたまま。
帰宅して晩御飯を食べて、洗い物もそのまま。
部屋を見渡すと、手洗いしたい服はなんとか仕分けだけして、部屋の隅に置いたままだった。
帰ってきたときはスッキリしていた部屋が、気づけばなんとなくごちゃっとしている。
片付けないと、と思う。
でも心が動かない。
同時に私は自分を責めていることに気づいた。「また散らかしてしまった」「片付けができない自分はなんて情けないんだ」「賢い人はすぐ片付けしているのに」と、無意識に他人と自分を比べている。
(夫は綺麗好きだから、申し訳ない気持ちも出てくるというのもある。)
片付けない自分を責めてしまう理由
部屋を片付けないと、と思う。
でも何日か経っても心が動かない。
そして散らかっている部屋を見て「またできなかった」と自分を責めた。
改めて少し不思議に思った。
どうして私はこんなに自分を責めるんだろう?(責めるだけで行動に移せないのはなぜ?)
部屋が散らかっているだけなのに、頭の中では
・だらしない
・ちゃんとできない
・大人なのに
そんな言葉が浮かんでいる。部屋の片付けだけじゃない。そういえば、私は日常のちょっとした出来事でも自分にそんな言葉を投げかけている。
ずっと無意識だった。
これは誰の声なんだろう?
…と考えてみて、社会の常識かもしれないと気づいた。
社会には
・家は綺麗にするもの
・ちゃんと生活するもの
・片付けるのは当たり前
そういう空気がある。
その基準と自分がズレたとき、私たちは「できない自分」を責める。
では、片付けられないのは普通のことなのかも。と考えることができたら楽になるのかな?
部屋が散らかる人の原因の一つに、疲れ切っているからというものがあるらしい。
私は今、確かに疲れ切ってる。旅行の疲れと、仕事や人との関わりの疲れ。
心が疲れている日、余白がない日、そういう日はきっと人は動けない。
・だらしない
・またできなかった
・ちゃんとやらないと
・嫌われなくないのに
そういう言葉がやっぱり頭の中に浮かぶ。ずっとそう思いながら生きている。
私は片付けができない人間なのではなくて、今は心が動いていないだけなのかもしれない。
心が動かないとき、人は動けない
「やればいいだけ」と言われたら、それまでなんだけど。
体が重いわけでもない
時間がないわけでもない
ただ、心が動かない。何にも思わない。そんな自分を責めてる。
散らかった部屋は、心のサインかもしれない
部屋が散らかると「だめな状態」と思われがちだけど、
もしかしたらこれは心の余白がなくなっているサインかもしれない。
だから少しずつ片付けない自分を責めるのをやめてみるつもり。そのうちに自分から片づけたくなってくるはず。
心が動いたときに、少しずつ整えればいいよ。と自分に許可を出した。
部屋も、生活も。
人は部屋ではなく「基準」で自分を責めるものだから。


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